時にカフェー。時にサーカス。そして時にはおもちゃ箱。
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やっぱり、誰がなんと言おうと、Mana様は可愛いのだ。
顔じゃなく、中身が。
私はいつまでもMana様に夢と憧れを抱いていたいので、
極力、本来の人間性には触れないし、触れようとするものも見ない。
アーティストである彼しか見ない。
それはつまり、本来の彼の姿のほんの一部しか知らないという事になるが、
でも、それで十分だと思うのだ。
アーティストの面が「Mana様」の全てだと思っている。
それはMana様も、そう見られる事を望んでいると思う。
というか、そもそも、彼にすら夢が見れなくなったら、私は何に夢を見て生きていけばいいんだ!!
というのが、一番の本心だったりする。
彼を守るという事は、自分自身を守るということなのだよ。
それが例え、幻想でも。
仮に、嘘でも。
そういう点では物凄く保守的。
でもそれだけ、必要で大事なものなのだ。
「Mana様」という存在は私にとって、実在するとかしないとか、実はどうでもいい事なのかもしれない。
与えられた虚像でしかなくても、私はその「虚像」を崇拝している。
言うならば、「虚像」しか見えてない。
「虚像」しか必要としてない。
ここまで言うと、Mana様の立場が無くなってしまうが…。
まぁ何を言ってるのか要約すれば、
Mana様だけの話題をこれだけ引っ張れる=好きって事だね。
好きは愛と違って、痛みを産まないから。
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